沿革

更新日:2022年03月10日

 宇治田原町一帯について、文献上はじめて登場するのは、10世紀中期に書かれた「和名抄」の「田原郷」の記載です。集落は、奈良盆地から近江へと抜ける古道沿いにありました。この古道は、現在の国道307号線、及び府道宇治田原大石東線とほぼ重なります。奈良・平安時代には金胎寺(現和束町内)、湯原寺、医王寺等多くの寺院が建立され、仏教修学のための拠点の様相を呈していました。名刹禅定寺も991年に創建されています。
 しかし、近世に入ると、世の争乱の影響から多くの寺院が荒廃、廃絶し、禅定寺もその寺領を失い、相当衰退しました。なお、鎌倉期に茶の生産方法がこの地に伝えられています。

 江戸時代に入ると、一旦幕府直轄領となったのち、宮廷の禁裏御料となり、栗や松茸等を多く産出し、上方の副食物類の主産地となりました。御料林の名残は、現在も御林山一帯の町有林として残っています。集落は安定期を迎え、1680年には、禅定寺が、曹洞宗の僧月舟によって再興されました。
 また、1738年湯屋谷の茶農永谷宗円が「青製煎茶法」を考案したことで、茶の大衆化が進んだ、と同時に、「宇治の煎茶」の名は全国に広がっていったことは有名な話であり、それが現在も宇治田原が日本緑茶発祥の地と呼ばれる所以であります。

 明治維新後は、京都府管轄下となり、戦後、1956年に田原村と宇治田原村が合併して現在の宇治田原町が誕生しました。

人口・世帯数の推移
年度 昭和35年 昭和40年 昭和45年 昭和50年 昭和55年 昭和60年 平成2年 平成7年 平成12年 平成17年 平成22年 平成27年
人口 7937 7130 6991 7074 7180 7939 8316 9112 9840 10060 9711 9319
世帯数 1536 1517 1535 1579 1668 1907 2058 2360 2693 2942 3097 3232

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