鷲峰山金胎寺
金胎寺多宝塔 鷲峰山山頂の宝篋印塔
鷲峰山金胎寺(じゅうぶさん こんたいじ)
(金胎寺境内が国史跡及び歴史的自然環境保全地区、多宝塔・宝篋印塔・木造弥勒菩薩座像・銭弘俶(せんこうしゅく)八万四千塔が重要文化財)

 宇治田原町と相楽郡和束町の間に位置する鷲峰山(「じゅぶざん」「じゅぶせん」とも呼ばれる)は、南山城地方の最高峰であり、昔から霊山として、長い歴史を持っています。
 天武天皇白鳳4年(675年)9月、役小角(役行者)によって開かれたといわれる鷲峰山は、奈良時代、平城京の鬼門封じとして、聖武天皇によって堂が建立され勅願寺となりました。
 その後、境内、寺領は拡大し、山内に58もの坊舎を有するほどに繁栄しましたが、元弘元年(1331年)9月、鷲峰山を経て、笠置へと落ちのびていった後醍醐天皇の後を追う鎌倉幕府軍によって、寺は焼き討ちされ、さらに暦応3年(1340年)の出火によって多くの堂塔を失いました。康安元年(1361年)、光弁上人によって再建されましたが、永正15年(1518年)に再び出火し、その後の戦乱のため、繁栄していた頃の伽藍が、再建されることはついにありませんでした。そのかわり、大永3年(1523年)、堂や坊舎の跡地に杉檜2万本が植えられたといわれています。
 また寺領は、織田信長によって没収されましたが、境内は、幕末まで東西30町、南北19町半の広さを誇っていました。明治維新期の廃仏毀釈の波の中で、真言宗高野山金剛峰寺所属となり、現在の境内は3町弱となっています。
 むかしの絵図には「西塔」「東塔」に分かれた山内に数多くの堂塔が描かれ、「鷲峰山寺」などと総称されていましたが、現在は山頂付近の一部が「金胎寺」となっています(境内は和束町側)。現在の金胎寺境内に残るのは多宝塔と宝篋印塔で、他に本堂、山門、客殿、行者堂などの建物があります。立川地区大道寺からの登山道や山頂付近にはかつての栄華を偲ばせる痕跡が多く残され、坊舎跡や道標、歴代住職の墓地などを見ることができます。
 宇治田原町側からも古くからの参詣道があり、南地区(東海自然歩道)、立川大道寺地区、湯屋谷地区からの登山道は豊かな自然や歴史を感じることができる代表的なハイキングコースです。
 宝篋印塔のある山頂(682m)は、奈良時代の越智泰澄法師が麓まで托鉢を飛ばして食料を得たという「空鉢(くはち)の峰」伝承の舞台です。
 
 
住所:京都府相楽郡和束町原山
問い合わせ先:醍醐寺(電話080−3031−8817)
交通アクセス
公共交通 近鉄「新田辺」、JR奈良線「宇治」、京阪「宇治」から京阪宇治バスで「維中前行き」「緑苑坂行き」「工業団地行き」に乗車、「維中前」バス停下車、徒歩約180分
自動車 国道307号から郷之口交差点で府道宇治木屋線に入り、和束町・鷲峰山方面へ、「犬打峠」で林道鷲峰山線へ
国道307号茶屋トンネル(奥山田裏白峠)滋賀県甲賀市側から林道鷲峰山線へ