宇治田原歴史の道
 田原道〜古老柿発祥伝説
禅定寺地区
 古代の官道 田原道
 田原道は、山城地域を南北に縦断した「北陸道」から瀬田を経由して東国に向かう「東山道」の一部として奈良時代(8世紀)には整備されていたと考えられる官道(現在の国道のようなもの)で、それまでは規模の小さな道だと思われていたものが、平成19年に滋賀県大津市の「関津遺跡」で幅15mもの道路が南北に直進している遺構が発見されたことにより、当時の主要な官道と同等の規模に整備された箇所のあることが明らかになりました。
 天平宝字8年(764)、反乱の企てが露見した「恵美押勝(えみのおしかつ)(又は「藤原仲麻呂」)は、一族を伴って宇治道から近江に逃れようとしますが、追っ手の官軍は田原道を先回りして「勢多橋」を焼いたため、反乱軍は戦意を喪失しました。
 千年の古刹・禅定寺
 地区の名称にもなっている禅定寺は、正暦2年(991)開基という町内でも屈指の歴史を誇る古刹で、藤原氏の庇護を受けたことで栄え、広大な寺領を有していましたが、中世以降は衰退していました。江戸時代に入り、加賀の月舟により延宝8年(1680)曹洞宗寺院として復興し、現在に至っています。本尊の木造十一面観音をはじめ、平安時代の仏像や禅定寺文書などの古文書が重要文化財となっており、他にも町指定文化財など、数多くの文化財を有しています。
 また、境内の山地にある「美女石」は、「古老柿」発祥伝説の舞台とされます。
 古老柿発祥伝説
 宇治田原特産の干し柿である「古老柿(ころがき)」は、「鶴の子」という渋柿を「柿屋」という棚に並べて乾燥させる独特の方法で作られ、その発祥には禅定寺にまつわる伝説が伝えられています。
 むかし、渋柿を甘くする方法が知られていなかったころ、どこからともなくやってきた娘が甘美な干し柿を売り歩いていました。娘は村人の求めに応じてその製法を伝えましたが、自らの素性を明らかにせずその場を去っていきました。村人達がその後をつけていくと、娘は禅定寺の近くの岩場で忽然と姿を消したかと思うと、観音の姿を現しました。娘は、禅定寺の本尊である十一面観音の化身だったのです。以来、娘が伝えた干し柿を「孤娘柿(ひとりの娘が伝えたため)」と呼ぶようになったそうです。
 猿丸大夫について