宇治田原歴史の道
 天武天皇伝承〜宇治拾遺物語
天武天皇故址碑
 天武天皇の煮栗焼栗
 宇治田原にも伝わる、天武天皇(大海人皇子)にまつわる伝承は、「宇治拾遺物語」巻十五に収録された「清見原天皇、与大友皇子合戦事」で語られています。
 蘇我入鹿を倒し、「大化の改新」を進めた天智天皇の弟である大海人皇子は皇太子の地位にありましたが、天皇の御子である大友皇子が太政大臣として政治に携わっていました。
 天皇が病になったとき、大海人は病床の天皇から自分の後継者となる意欲があるかと問われると、ないと答えて出家し、吉野へ籠もりました。
 大海人の存在を危険視した大友は、大海人を謀殺しようと計りますが、これを知った大友の妻で大海人の娘である十市皇女がフナの包み焼きに隠した手紙で身の危険を知らせました。
 吉野を発った大海人は、身分を隠し山を越えて北に向かい、数日して山城国の田原にたどり着きました。
 来訪者にただならぬ気配を感じた里人は、高杯に盛った焼き栗やゆでた栗を差し出しました。大海人はこれらの栗を「願いがかなうなら、芽を出せ」と埋めて里を後にし、伊勢を経由して美濃に入りました。
 多くの兵を連れて近江に戻った大海人は、大友の軍と戦って勝利し(壬申の乱)、大和で天武天皇として即位しました。
 やがて田原の里に埋められた栗は芽生えて立派な栗林となり、そこで収穫された栗はあたかもゆで栗のごとく色つやがよく、「田原の御栗」として献上されるようになりました。
 宇治田原の伝承では大海人は近江から吉野への道中に田原へ立ち寄ったとされています。
 宇治拾遺物語
 「宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)」は、鎌倉時代に成立したと思われる説話集で、仏教的説話以外にも世俗的な話や伝承など多彩な内容で構成され、中には昔話として有名な「わらしべ長者」「こぶとり爺」「雀の恩返し」も含まれています。その編者は不明ですが、源隆国が編纂したという「宇治大納言物語」から漏れ落ちた話題を拾い集めた続編であるともいわれます。
 その他の伝承について