千利休の茶室
 独楽庵

 
 現在、島根県出雲市に「独楽庵」と呼ばれる茶室が復元されています。復元作業は京都工芸繊維大学名誉教授中村昌生氏の指導によって行われましたが、かつてこの茶室が宇治田原にあったといわれています。
 天正年間、千利休が豊臣秀吉から長柄の橋杭を拝領し、二畳壁床の茶室を「宇治の田原」に建てたのがはじまりで、利休の没後、尾形光琳と親好のあった銀座内蔵助の京都の屋敷に移築され、その後豪商阿波屋が大阪に移し、さらには松江藩藩主で大名茶人の松平不昧の所持するところとなりました。不昧は江戸の大崎下屋敷に11棟の茶席が散在する2万坪あまりの広大な茶苑を設け、その中心に独楽庵を据えました。幕末には国防のための砲台設置に伴い大崎から松平家の深川下屋敷に移されましたが、伊豆地震の津波により被災しました。大正になって松平家ゆかりの品々を譲り受けた武藤山治が興福寺等の古材を使って北鎌倉に復元し、現在は東京八王子市の料亭内に移築されています。
 平成3年、不昧ゆかりの島根県にある「出雲市立文化伝承館」に復元され、四代将軍徳川家綱に献茶した船越伊豫と裏千家六世泰叟による2席が組み込まれた姿を忠実に再現されています。
 復元に際して、中村氏は独楽庵が三重の露地を持った珍しい構成の茶室であることを指摘しています。門をくぐり、高い塀で囲まれた外露地、中露地を通り内露地ではじめて塀から開放されて、接する自然の風景。こうした露地の構成は茶の湯の世界へと誘う「浮き世の外ノ道」につなぐための工夫であったと考えられます。
 



画像は出雲市の「独楽庵」です。